京都大学医学部附属病院: 生成 AI を活用して文書作成業務を効率化し、医療現場の働き方改革に貢献
Google Cloud Japan Team
京都大学医学部附属病院(以下、京大病院)眼科では、フィッティングクラウド株式会社(以下、フィッティングクラウド)と共同で、生成 AI を活用して医療文書作成業務を効率化する「CocktailAI(カクテル AI)」 を開発、医療現場の働き方改革に貢献しています。このプロジェクトでは、バックエンドの AI サービスに Google Cloud の Vertex AI 、AI モデルとして Gemini および MedLM が採用され、精度の高い文書生成を実現しています。CocktailAI の開発に携わった京大病院の医師 2 名と、フィッティングクラウドの責任者に話を伺いました。
利用しているサービス:
Vertex AI, Gemini 1.0 Pro, Gemini 1.5 Flash, MedLM
医療現場の働き方改革の実現に向けて、文書作成業務に生成 AI を導入
日本の医療現場では、医療の高度化や少子化などを要因とする医療の担い手の不足、それに伴う医師個人への負担の増加などが喫緊の問題として浮上しています。厚生労働省は 2024 年 4 月から医師の働き方改革を推進、医師の時間外労働および休日労働の時間に明確な上限が課せられるようになりました。このようななか、佐渡 恵奈氏(京都大学医学部附属病院眼科医員(当時))、須田 謙史氏(同病院講師)、三宅 正裕氏(同特定講師・日本眼科AI学会理事)は、フィッティングクラウドと共同で、生成 AI で文書作成を効率化する CocktailAI を開発しました。カルテや手術記録、退院時のサマリーや診療情報の提供書など、医師には作業に長い時間を要する多様な文書の作成が求められるためです。CocktailAI の開発に医療現場から携わった佐渡氏は、文書作成業務の負担がいかに大きいかを次のように説明しています。
「私たちに求められる医療のレベルは常に上がり続けていますし、良質な医療を幅広く提供するためには、近隣の病院とのコミュニケーションもより密にしなければなりません。京大病院は地域医療の中核を担う特定機能病院として患者さんを他院に紹介するケースも多いので、1 日の診察を終えた後に 3、4 時間を文書作成に費やしたり、週末にまとめて文書を作成したりすることもありました。こういう作業を効率化して、もっと患者さんとじっくり向き合ったり、自分の勉強や研究のための時間を確保したいと思っていました。」
そこで注目したのが生成 AI でした。本プロジェクトでスーパーバイザーを務めた須田氏は、発想の経緯をこう振り返ります。
「電子カルテなどで診療録を作成するのは医師法で義務付けられており、サマリーや紹介状などは、過去の診療録の情報をもとに作成していきます。その際には過去の資料を調べながら、同じ内容を繰り返し記入せざるを得ませんので、この作業をもっと効率化できるのではないかと感じていました。2024 年 4 月からは働き方改革が施行されましたが、これに先立って生成 AI 技術が一気に普及してきましたので、生成 AI を使って似たような文章を自動的に入力できるようにすれば、大幅な業務削減につながるのではないかと。そうひらめいて、昨年、フィッティングクラウドに相談したのがきっかけでした。」
個人情報を厳密に守りつつ、医療情報が AI モデルに入り込まない仕組みを考案
こうしてスタートした CocktailAI の開発プロジェクトには、京大病院眼科の三宅氏もアドバイザリーとして参加。過去のカルテ情報をもとに、生成 AI があらかじめ準備された定型文の一部の項目に自動的に文章を作成・挿入し、医師が内容を確認しながら、必要に応じて軽微な補足を記入するだけで書類作成を完了できるシステムが構築されました。開発を担当したフィッティングクラウド代表取締役の岡本 和也氏は、さまざまな医療機関などと医療情報を扱うシステムやプラットフォーム開発を手掛けてきた経験を活かしつつ、京大病院からのフィードバックを踏まえて、幾多の試行錯誤とテストを繰り返したと語ります。
「当初は、既存のカルテを使って AI に機械学習させ、 AI モデルを構築する方法を試しました。しかし、この方式では学習コストが増えるだけでなく、病院固有の医療情報や診療情報まで AI モデルに組み込まれてしまうため、他の病院に横展開する場合、毎回新たにモデルを作り直す必要が出てくる、あるいはコストや病院側の作業負担が大きくなるといった問題が生じることが予想されました。そこで私たちはモデル学習以外の方法で精度を高めていくために、ユーザーが簡単に作成できるテンプレートに従って、必要な情報が自動的に生成・入力される方式を採用しました。現時点では、テンプレートの記述内容に込められた医師の『意図』を完全に読み取るレベルには達していませんが、生成 AI 技術は日進月歩で進歩し続けています。さらに優秀な AI のモデルが登場すれば、それに合わせて CocktailAI も賢くなりますので、より高いレベルの読解能力もいずれ獲得できると考えています。」
CocktailAI の開発では、バックエンドの生成 AI サービスとして Google Cloud の Vertex AI を採用。総合的な判断に基づき、 MedLM と Gemini 1.0 Pro、および Gemini 1.5 Flash の 3 種類の AI モデルを使いながら、最適な出力結果が得られるような工夫がされています。岡本氏によれば Google Cloud の AI が採用されたのは、2021 年に京大病院と Google Cloud の間で締結された、デジタルトランスフォーメーションに関するパートナー協定に基づくものでした。
「この協定は、Google Cloud の AI を採用する決め手になりました。協定により Google Cloud とは以前から定期的なミーティングを行っていましたが、CocktailAI を開発するにあたっても包括的な技術サポートを継続的に受けることができました。また Google Cloud 側が、入力されたデータの蓄積や 2 次利用をしないことを保証してくれたのも、非常に助かりました。そもそも生成 AI は、コア技術とエンドユーザーの距離が近いのが特徴ですが、患者さんの個人情報が流出するような事態は絶対に避けなければなりません。個人情報の塊である診療録は、外部システムへの持ち出しに対して厳しい制約が課せられていますので、データ非保持・非流用のポリシーを一貫して厳守できたことは、開発を進めるうえで大きな安心材料となりました。」
共同研究を通じて医師の負担軽減、患者に提供する医療水準の向上を今後も追求
CocktailAI は 2024 年 5 月に PoC(概念実証) が完了し運用が始まったばかりですが、大きな効果をもたらすことがすでに予想されています。京大病院とフィッティングクラウドが行った検証では、眼科退院時の診療情報提供書の作成において、生成された文章のうち 56% の文章が「そのままで利用可能」または「微修正のみで利用可能」に分類され、36% が「記載追加のみで利用可能」に分類されるという結果が得られています。これは 92% もの診療情報提供書において、文書作成タスクが軽減できることを意味します。医療現場で CocktailAI を使い始めた佐渡氏も、手応えを感じていました。
「魅力的なのは、これまでのワークフローを変えずに自然に利用できる点です。通常の書類作成業務をしながら特定の場所をクリックすれば、ぱっと文章が挿入されますので、操作方法を覚えるストレスを感じずに済んでいます。CocktailAI は完全な正確性を担保するものではなく、確認や修正、意図を明確に伝えるための校正が必要ですが、テンプレートに沿って書類を即座に生成してくれますので、日々の業務が効率化されました。もともと私は患者さんや地域医療に貢献したいという思いから医学の道を志しました。最先端のテクノロジーの力を借りて、人的資源や時間をさらに患者さんのケアに充てられるような環境ができたことは嬉しいですし、幸せだなと感じています。」
CocktailAI は、フィッティングクラウドの親会社である株式会社ファインデックスが提供する文書作成システム「DocuMaker」に組み込まれ、京大病院以外の医療機関にも展開。さらには他社製品との連携も見据えて、より多くの医療機関で医師の負担軽減に役立てられる予定です。須田氏は本プロジェクトが持つ意義を改めて指摘したうえで、意欲的な挑戦を続けていきたいと締めくくりました。
「使いやすく精度の高いシステムで文書作成業務を効率化することは、医師の働き方改革を推進するだけでなく、ひいては患者さんに提供できる医療水準の向上にもつながります。今回、私たちが開発した CocktailAI は文書作成の効率化に特化したソリューションですが、このような共同研究が、さまざまな改革のさらなる呼び水になってほしいですね。例えば、個人情報をしっかり守りながら、ファイル形式やプラットフォームの違いを超えてクラウド上で医療情報が共有できるような仕組みなどを作っていければ、患者さんの健康管理はさらに容易になるでしょう。こういう取り組みの意義は極めて大きいと思いますので、今後も先進的な企業と連携しながら、現場の医師と多くの患者さんに広く貢献できる研究開発を継続していきたいと考えています。」
京都大学医学部附属病院
1899 年 12 月開設。高度な医療技術と研究を兼ね備え、24 の診療科を有する京都大学医学部附属の大学病院。安全で質の高い医療の提供、意義のある研究の実施、人間性豊かな医療人の育成を使命として掲げ、最先端の医療設備と専門知識を活かした医療サービスを提供する一方で、教育・研究機関として医療従事者の育成にも力を入れている。病院内の IT 部門では、医療データの管理や遠隔医療などの分野で最新技術の導入を積極的に推進し、医療サービスの向上にも努めている。
フィッティングクラウド株式会社
2021 年 4 月設立。クラウド技術を利用した医療情報システムやサービスの提供を目的として、医療情報システムの開発において高い実績を持つ株式会社ファインデックスと、京都大学の事業子会社である京大オリジナル株式会社によって共同設立された合弁会社。病院間での情報連携や、診療データの管理分析、患者と病院の新しいコミュニケーションなどを実現するクラウド システムの開発および提供を行っている。
インタビュイー(写真右から)
・京都大学医学部附属病院眼科 須田 謙史 氏
・京都大学医学部附属病院眼科(当時) 佐渡 恵奈 氏
・フィッティングクラウド株式会社 代表取締役 岡本 和也 氏
その他の導入事例はこちらをご覧ください。