Sansan の Platform Engineering 戦略:開発者体験 とビジネス価値を最大化する Orbit とは

Google Cloud Japan Team
多くの開発現場が抱える「開発者がインフラ関連の作業に追われ、開発に集中できない」という課題。この「痛み」を解決するアプローチが Platform Engineering です。
Google Cloud では Tech Acceleration Program ( 以下、TAP) の一つとして、Platform Engineering の実践を支援する「Platform Engineering Jumpstart」を提供しています。Google Cloud のエンジニアが Google Kubernetes Engine などを中心に、開発者向けのプラットフォーム設計や Platform Engineering の適用をサポートします。
今回ご紹介する Sansan株式会社は、この Platform Engineering を採用し、アプリケーション開発プラットフォーム「Orbit」を構築し、開発者体験を劇的に向上させ、開発生産性も大きく向上させました。アプリのリリース頻度アップや開発期間の短縮など、ビジネスを加速させた成功の裏側には何があったのか?その詳細に迫ります。
利用している主なサービス:
Google Kubernetes Engine (GKE)
利用している主なソリューション:
アプリケーションのモダナイゼーション
開発の「痛み」から生まれた共通プラットフォーム「Orbit」
Orbit を導入する以前の Sansan では、開発チームはいくつもの課題に直面していました。特に顕著だったのは、開発チームの担当範囲があまりにも多岐にわたっていた点です。インフラ運用、CI/CD パイプライン、Terraform などの管理は非常に大変でした。
会社としては新規事業を数多く立ち上げる一方で、インフラエンジニアが不在のケースもあり、アプリケーション開発者がインフラ設定などに時間を取られてしまうという状況が生じていました。Orbit のユーザーの立場で「名刺メーカー」の開発を担当する山門 峻様は、当時の状況について「使うサービスの設定が最適かどうか毎回悩むなどで時間がかかり、それが開発チームやビジネスサイドにとって具体的な『痛み』となっていた」と語っています。設定ファイルが散らばっていたり、手作業で変更されているケースもあり、そうしたことが認知負荷となっていたそうです。
このような課題を解決するために、Platform Engineering が検討され始めました。この目的は、単に開発者体験を良くするだけでなく、プラットフォーム側とアプリケーションエンジニア側の両方の工数を圧縮し、組織全体の生産性を向上させることを目指しています。


そして誕生したのが、アプリケーション開発プラットフォーム「Orbit」です。その名称「Orbit」は、Google Cloud の 六本木のオフィスで、TAP に参加した際に、六本木ヒルズの玄関口にドラえもんがたくさんいた時期があり、そこから連想された「宇宙」や、アプリケーションが効率よくぐるぐる回る「軌道」に由来しています。プラットフォームエンジニアとして開発を担当する辻田 美咲様は、「プラットフォームの名前を決めようとした日がドラえもんの誕生日だった」という、素敵なエピソードも紹介してくれました。Orbit には、アプリケーションが軌道に乗ってスムーズに稼働する世界観が込められています。
「Orbit」によって、アプリのリリース頻度が 84% 増加など、驚くべき導入効果
プラットフォームの基盤として Google Cloud を選んだきっかけは、Platform Engineering Kaigi での発表で Platform Engineering Jumpstart を知ったことでした。辻田様は「このプログラム参加を通じて Platform Engineering の解像度が大幅に上がり、当初 Cloud Run と迷っていたアーキテクチャ選定において、自信を持って GKE を選択することができたのはすごく良かったです」と振り返っています。
GKE には複雑そうというイメージがありましたが、Autopilot ではインフラ管理の手間をなくし、コストを最適化しながら、セキュアでスケーラブルなKubernetes環境の構築ができることを知りました。Cloud Run ではバックエンド管理が必要で認知負荷になりうるとも思われた一方、GKE ではマニフェストで定義できる点が問題解決につながると判断されました。Sansan の Strategic Products Engineering Unit (以下、SPEU) では以前から Google Cloud を使うことが多く、App Engine や Cloud Run の利用経験もあったことが Google Cloud 選定の背景にあります。他のクラウドサービスを検討しなかったのは、SPEU が元々 Google Cloud を頻繁に利用し、エンジニアの習熟度も高かったためです。
Orbit の導入・構築は、Platform Engineering Jumpstart がきっかけとなり、アーキテクチャが概ね決定された後、すぐにクラスタ構築とデモアプリケーションのデプロイから着手されました。その後、DB 接続サンプル作成や Secret Manager 構築などを行い、「名刺メーカー」で当時開発中だった新機能を、実際に Orbit 上で稼働させてみたのです。この初期構築は、辻田様がほぼ 1 名で実施されたとのことで、そのスピード感には驚かされます。
最初のユーザーとなったのは「名刺メーカー」チームでした。これは、Orbit を構築するチームと同じチームであったことが大きな理由です。山門様は、実際に利用を開始すると「権限回りのエラーや Pod サイズの問題、GKE Gateway のヘルスチェック理解など、想定外の問題にぶつかりましたが、都度 Orbit Team に問い合わせし、解決していった」と語っています。最初に辻田様とペアプログラミングでこれらの問題をスムーズに解決できたことで、山門様の Orbit に対する理解も深まりました。
Orbit 導入によって、開発者体験は大きく向上しました。山門様は「インフラ設定の認知負荷が減り、マニフェストを見れば理解できるようになりました。設定作業も減り、開発環境、ステージング環境、本番環境の設定が同じになったため、環境ごとに特別な準備が必要なくなりました」と、その効果を実感しています。ArgoCD のダッシュボードから Pod の起動なども確認可能になり、開発者はインフラの細部を気にせず開発に集中できるようになったそうです。


定量的な効果も顕著に現れています。アプリのリリース頻度は 84% 増加し、インフラのリリース頻度も 20% 増加しました。また、アプリのリードタイムは 43% 削減、インフラのリードタイムも 16% 削減されました。あるプロジェクトでは、予定より 1 週間前倒しでリリースでき、これは 20 人日分の圧縮効果に相当すると推計されています。
また、社内への展開にあたっては、全社開発メンバー向けに Orbit を紹介する社内 LT や、少人数で課題を聞き出し提案するといった「社内営業」も大切だったと語られています。
これらの高い評価や活動は、全社展開を見据えて Platform Engineering Unit が新たに発足するきっかけとなり、増員も進められています。さらに、今回の取り組みは、採用面でも良い効果を生んでおり、プラットフォーム志望者の応募が増え、返信率も高いとのことです。
Google Cloud 上で実践するメリットと今後の展望
Platform Engineering Unit のグループマネージャーである水谷 高朗様は、Google Cloud 上で Platform Engineering を実践することのメリットとして「Google Cloud 自体がプラットフォームであり、使いやすい点が挙げられます。また、ネットワーク等の抽象化のレベル感が良い点も魅力です。TAP の存在も大きかった」と語っています。


辻田様も「Google Cloud 自体がプラットフォームとして使える感じがしてすごく使いやすいです。特に Google Cloud Next での Product Manager とのミーティングで機能要望を出しやすい点もメリットと感じており、ユーザーとして今後も使い続けたい」と述べています。山門様はユーザー視点から「Web リファレンス、サポート、ドキュメント、Slack からの問い合わせなど、使う側への配慮がある点も高く評価できます。新しく Google Cloud の個別サービスを使う際に、参考になるものが多かったり、設計で困ったときに相談できたりするのは、使う側を考えていただいていると感じます」と、ドキュメントやサポートの充実を評価しています。
Orbit の利用は今後さらに拡大していく計画です。現在は名刺メーカー、Sansan Data Hub での利用が中心ですが、6 月を目処に全社展開を進めています。R&D (研究開発) 部門での利用 (NineOCR など)、特に GPU への期待や、Contract One、Seminar One での利用も検討・進行中です。Google Cloud は GPU リソースを確保しやすい点も評価されています。
今後の機能拡張としては、DB マイグレーション (Elasticsearch から Spanner など) への対応や AI ワークロード (Inference GW) への対応も視野に入れています。
水谷様は「Platform Engineering Jumpstart の活用を強く推奨します」と述べています。また、辻田様も「社内の開発チームとのコミュニケーションがとても大事であり、『社内営業』も必要です。開発チームにその必要性を丁寧に理解してもらうことが成功の鍵となります」と、技術面だけでなく組織内のコミュニケーションの重要性を強調してくれました。
Sansan の Platform Engineering「Orbit」の取り組みは、開発チームの課題を解決し、開発者体験の向上とビジネス価値の最大化を同時に実現する素晴らしい事例です。Google Cloud のサービスを活用し、Platform Engineering Jumpstart も効果的に使いながら、短期間でこれだけの効果を出している点は、Platform Engineering を検討する多くの企業にとって参考になるでしょう。今後のさらなる全社展開と機能拡張にも期待が高まります!
Sansan株式会社は「出会いからイノベーションを生み出す」をミッションとして掲げ、働き方を変えるDXサービスを提供しています。主なサービスとして、営業DXサービス「Sansan」や名刺アプリ「Eight」、経理DXサービス「Bill One」、AI契約データベース「Contract One」を国内外で提供しています。
インタビュイー
技術本部 Platform Engineering Unit
Application Platformグループ GrM
水谷 高朗 様
技術本部 Platform Engineering Unit Application Platformグループ
プロダクト開発エンジニア
辻田 美咲 様
技術本部 Sansan Engineering Unit 名刺メーカーDevグループ
プロダクト開発Webエンジニア
山門 峻 様