NEC、AI で TNFD レポート作成業務を自動化、8 万時間相当の作業を 200 時間に大幅短縮

Google Cloud Japan Team
企業の価値を測る尺度は、財務情報以外にも広がっています。2019 年 1 月の世界経済フォーラム(ダボス会議)で構想が発表された「TNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)」は、企業と自然環境との関わりを開示する国際的な枠組みであり、グローバル企業の新たなスタンダードになりつつあります。
国内 IT 業界でいち早くこの課題に向き合った日本電気株式会社(NEC)は、「TNFD レポート第 3 版」の作成にあたり、サプライヤーを含む約 2,000 拠点もの広範なリスク評価という大きな課題に直面していました。このレポートを作成するには、政府や自治体が発行する環境関連の文書や学術論文などを読み込み、必要な情報を抽出・評価する必要がありました。人手で約 2,000 拠点分を実施した場合、その工数は実に 8 万時間にも上り、従来の手法では「あきらめざるを得ない」ほどの規模でした。
本記事では、NEC が自らを「最初の顧客」とする「クライアントゼロ」戦略のもと、いかにしてこの AI ソリューションを開発し、TNFD 対応におけるリスク評価(守り)の高度化と、事業機会の探索(攻め)を両立させたのか。創出された時間をより付加価値の高いステークホルダーとの「対話」へつなげた、その取り組みの裏側に迫ります。
利用している主なサービス:
- Gemini
- Agent Development Kit (ADK)
- Cloud Run
- Vertex AI Agent Engine
人手では不可能 ー 2,000 拠点、8 万時間の壁
2023 年 7 月、NEC は国内 IT 業界で初めて TNFD レポートを公開し、以来、国際的なルール形成にも寄与してきました。しかしその裏側で、サステナビリティ推進チームは新たな課題に直面します。TNFD が求める開示レベルは年々高まり、第 3 版では評価対象をバリューチェーン上流の約 2,000 拠点へ拡大する必要に迫られたのです。


「第 2 版では 3 拠点の深掘りが限界でした」と岡野様が語るように、従来の人手による調査は 1 拠点あたり約 40 時間を要していました。単純計算で 8 万時間にもなる膨大な工数を前に、チームは従来の手法に限界を感じ、AI 活用へと大きく舵を切る決断をします。
この課題に対し、NEC は Google Cloud の AI サービスと伴走型内製開発支援プログラム「Tech Acceleration Program(TAP)」を活用。Google Cloud のスペシャリストと共に短期集中で検討を重ね、Google の AI、Gemini をはじめとする最新技術を駆使した「Agentic AI」ソリューションを自ら開発しました。これにより、膨大なタスクをわずか 200 時間で完遂する目処を立てたのです。
Google Cloud の AI サービスと TAP によって実現手段を見出す
解決の鍵となったのが、複数の AI エージェントが自律的に連携してタスクを実行する「Agentic AI」という先進的なアプローチでした。そして、このアイデアを現実のものとしたのが、Google Cloud のエンジニアが伴走支援するプログラム「Tech Acceleration Program(TAP)」です。


TAP では、TNFD レポート作成に関わる全体のプロセスを確認し、そのうえで、もっとも重要な箇所について、どのように改善できるかを掘り下げて検討していきます。今回、レポートを作成するうえで、そのクオリティを左右するもっとも重要なタスクである「リスク評価」にフォーカスし、そのなかでも特に「渇水リスク」をテーマに 3 日間の TAP を実施しました。現状の業務フローから扱うデータ形式や出力イメージなどを Google Cloud のスペシャリストと細かく確認。この業務では、国や拠点が変わると条件が変わるため、当初、2,000 もの拠点のループ処理は実現のハードルが高いと考えられていましたが、Google Cloud のエンジニアと共にアーキテクチャを検討する中で、同社の AI を中心とした技術で十分に実現できる可能性があるとわかってきました。倉地様は、「TAP でのアーキテクチャのディスカッションによって、どのように実現すればいいかを理解できました」と、その効果を語ります。
前述のアーキテクチャのディスカッションに先立ち、Google Cloud の AI サービスを理解するためのハンズオントレーニングを実施しました。これにより、Google Cloud の利用経験がないメンバーもいる中で技術力を高めた状態でディスカッションに入ることができました。そして、アーキテクチャの検討の後、サンプルとなる拠点を選定し、そこに対するレポートのプロトタイプを実際に開発しました。ハンズオンで学んだ AI エージェント開発を加速する「Agent Development Kit (ADK)」やサーバーレスでアプリケーションを実行できる「Cloud Run」を中心に作成したサンプルコードをもとにプロンプト調整を重ねて、実際に動くプロトタイプが出来上がりました。実際に開発したエンジニアからは、「AI エージェントでのタスク処理の流れと開発プロセス、ツールなどを幅広く知ることができました。特に Google マップとの連携など ChatGPT では想定していなかったことも可能になると分かり、貴重な機会となりました」とのフィードバックがありました。
3 日間のワークショップの後、NEC は自社にノウハウを持ち帰り、見事に 2,000 拠点の分析を実行するプロトタイプを完成させたのです。




もちろん、この先進的な取り組みは順風満帆ではありませんでした。初期には個人のブログのような無関係な情報まで収集してしまうという課題に直面しました。しかし、チームはプロンプトの表現を工夫し、タスクを複数の専門エージェントに分割することでこの課題を乗り越え、分析の精度を大きく向上させることに成功したのです。
宇野様は、「スピード感がすごいと思いました。初日に環境ができて、その後すぐに具体的に動くものが見られたのは衝撃的でした」と、TAP の効果を振り返ります。
AI が「調査」、人が「対話」へ ー 新しい協働関係
この Agentic AI は、拠点情報をインプットすると、複数の専門 AI エージェント(水源確認、水管理方法調査、地下水調査など)が並行して自律的に調査・分析を実行します。さらに、その結果を統合してレポートのドラフトを執筆する「WriterAgent」や、内容をレビューする「ReviewAgent」も連携することで、レポート作成プロセス全体を自動化します。この仕組みにより、8 万時間かかっていた作業が、わずか 200 時間(99.75% 削減)へと大幅に短縮されました。
しかし、この取り組みの真価は、単なる効率化に留まりません。NEC は、AI によって創出された膨大な時間を、AI にはできない、より付加価値の高い活動へと振り向けたのです。
岡野様は、「コミュニケーションや信頼関係づくりに時間を使い、アウトプットを早めに出して、それをもとに現場に行って、そこでどうするかの議論に時間をかけられます」と語ります。AI が算出したリスク分析結果を「コミュニケーションツール」として活用し、現地の担当者や自治体、専門家といったステークホルダーと、より具体的で深い対話を行うことで、データだけでは見えてこない現地のリアルな状況を把握し、リスク評価の精度を格段に向上させました。これは、AI と人間がそれぞれの得意分野を活かし合う、新しい協働の形と言えるでしょう。
さらに、AI によって創出された時間は、こうした「守り」のリスク評価を深化させるだけでなく、「攻め」の事業機会の探索にも向けられました。AI が各国の環境法令や顧客ニーズ、そして NEC が持つトラスト技術といった強みを分析し、新たなビジネスのヒントを探索できるようになったのです。
「クライアントゼロ」から、社会全体のサステナビリティ向上へ
この「クライアントゼロ」としての成功体験を、NEC は新しいビジネスとして顧客に展開することを決定しており、すでに多くの企業から具体的な引き合いが寄せられています。
さらに、この Agentic AI の仕組みは、TNFD に留まらず、有価証券報告書作成や、サステナビリティ開示基準(SSBJ)対応、経済安全保障におけるサプライチェーンのリスク評価など、様々な領域への応用が検討されています。
「過去にあきらめていた大変なことほど、AI を活用する価値がある」と倉地様は語ります。人手では不可能だった壮大な課題に、AI との協働で立ち向かう。NEC の取り組みは、データドリブンなサステナビリティ経営の未来を力強く指し示しています。同社はこれからも、テクノロジーの力で、持続可能な社会の実現を加速させていくでしょう。
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NEC TNFDレポート第3版
インタビュイー
日本電気株式会社
プラットフォームサービスビジネスユニット 統括技師長
サプライチェーンサステナビリティ経営統括部
事業化推進グループ ディレクター
岡野 豊
サプライチェーン DX 統括部
AI・データ活用推進第 1 グループ
シニアプロフェッショナル
宇野 仁志
日本電気株式会社
コーポレートITシステム部門 経営システム統括部 AIインテリジェンスグループ
プロフェッショナル
倉地 崇裕



