中外製薬: RAG を用いた文書検索や人財育成、メディカル ライティングなどに生成 AI を活用し、業務効率化とさらなる価値創造を推進

Google Cloud Japan Team
今や、あらゆる業界で活用が進んでいる生成 AI 。卓越した創薬力が海外でも高く評価されている中外製薬株式会社(以下、中外製薬)でも、機械学習を駆使した新薬創出に加え、独自のチャット サービス「Chugai AI Assistant」を通じて生成 AI の全社的な利用が促されるなど、さまざまな業務を視野に入れたプロジェクトが加速しています。今回は、同社医薬安全性本部における生成 AI の活用事例と「Chugai AI Assistant」の最新の取り組みについて、関係者に伺いました。
利用しているサービス:
Gemini, Vertex AI Search, BigQuery など
利用しているソリューション:
生成 AI
安全と信頼性を確保するための資料検索・収集業務で、新機軸を導入
中外製薬医薬安全性本部は、医薬品の副作用などを評価し、その情報を医療機関と患者に提供することを目的とした社内独立組織です。現在は約 210 名のメンバーが所属しており、医薬品の安全性確保に献身的に取り組んでいます。組織を束ねる医薬安全性本部 本部長 神内 達也氏は、同本部における生成 AI 技術の開発・活用プロジェクトを次のように説明します。


「医薬安全性本部では、生成 AI を活用するために複数のプロジェクトを推進してきました。その中でもまず実現に結び付けたのが、 RAG を用いた『SOP 検索システム』の構築です。『SOP(Standard Operation Procedure)』とは、医薬品の安全管理業務の信頼性を高めるための『標準作業手順書』を指します。当本部には国内の製造販売後の安全管理業務手順だけでも 40 点以上あり、関連文書はさらに数多く存在します。膨大な数の手順書から必要な情報を検索して、適切な業務手順に則り業務を遂行するのは大変な作業になりますので、このプロセスを生成 AI で効率化できればと考えました。」
RAG を用いた SOP 検索システムの構築は、2024 年 3 月頃にスタート。プロトタイプの検証を経て、11 月から「Chugai AI Assistant」の機能の一環として利用できるようになりました。
医師に対応する人材育成や高難度な医療文書の作成にも生成 AI を活用
医薬安全性本部における生成 AI 活用の取り組みは、SOP 検索システム以外にも多岐にわたります。中でも MR(医療情報担当者)向けの対話シミュレーター「Chugai AI MediMentor(以下、MediMentor)」は、特にユニークな試みです。その生みの親のひとりであり、全社的な DX をリードするデジタルトランスフォーメーションユニット デジタル戦略企画部 ビジネスアーキテクト2グループ 所属の田村 崇氏は、着想の過程をこう振り返ります。


「自社医薬品に関する医師からの安全性関連の質問に対して、MR が適切に回答できるようになるには、かなりの経験と専門性が求められます。人の命に関わる内容ですから間違いは許されませんし、情報の信憑性をきちんと示す必要もあります。そこで MR が空き時間などを利用して、医師とのやり取りをシミュレーションできる環境作りに挑戦しました。MediMentor では、生成 AI が質問に答えるという一般的な構図を逆転させ、生成 AI が医薬品の添付文書や適正使用ガイドなどの医薬品の安全性関連の情報を元に、医師のように質問を投げかけてきます。」
MediMentor を利用したトレーニングでは、事前に設定した「面談内容」「前提条件」「達成目標」などの項目に基づき、MR に質問が提示されます。音声での質疑応答を重ね、無事に達成目標を満たすことができれば面談は終了。結果表示画面では、回答までの所要時間や内容の正確さ、改善点などが示されますので、シミュレーションを繰り返して行うことで、MR のコミュニケーション スキルや専門知識が高められることを期待しています。
医薬安全性本部 セイフティサイエンス第二部長 竹本 信也氏は、MediMentor の独自性を異なる視点から説明。従来、先輩社員などと行われていたトレーニングを、AI 相手に実施できるようにすれば、MR の効率的な育成が可能になると本番投入に意欲をのぞかせます。


「生成 AI を用いた汎用的な対話シミュレーターはこれまでも存在しましたが、医師との対話に特化したことが MediMentor のポイントです。今後は、個別の治療実態に即した対話が可能なツールに育て上げ、安全性の視点から関係機能との意見交換を踏まえて、MR のスキル向上に役立つツールとして導入していきたいと考えています。」
生成 AI 関連の主な開発プロジェクトとしては、メディカル ライティング支援環境の構築も挙げられます。副作用情報を分析・評価し、医薬品の安全性確保に必要とされる新たな対策の必要性を論じた各種ドキュメントを作成するメディカル ライティングも医薬安全性本部の重要な業務ですが、業務経験の少ないメンバーにはハードルの高い業務となってきました。田村氏によれば、副作用の分析に必要な多岐にわたる資料の準備に 1 週間以上かかることも珍しくないため、作成プロセスの効率化が課題になっていました。
「以前から生成 AI をメディカル ライティングに使えるのではないかと考えていたところ、2024 年 4 月頃から Google Cloud の医療機関向け生成 AI であるMed-PaLM や、Gemini が使えるようになっていったため、まずは PoC(Proof of Concept: 実証実験)というかたちで実現可能性を模索し始めました。そこでいい感触が得られたことを踏まえ、医薬安全性本部の新プロジェクトとして、同年の夏頃から正式に検討がスタートしています。」
田村氏とともに開発プロジェクトに参加した、医薬安全性本部 セイフティサイエンス第一部 データサイエンスグループ の大入 直仁氏も、適切な資料を読み込ませながらファイン チューニングを行うことで、より効率的かつ正確なメディカル ライティングが可能になると予想しています。


「現在の環境におけるプロンプトの最適化だけでは、十分なアウトプットを期待することはできません。まず、メディカル ライティングに必要な資料を都度ユーザーが探し、生成AIにインプットする作業も負荷がかかるため、本プロジェクトでも RAG の活用を試行しています。また、現在、安全性情報を集積しているデータベースと BigQuery を連携させ、生成 AI を活用して自然言語での指示からデータベースを集計・解析し、その結果をメディカル ライティングに用いる仕組み作りを検証中です。この機能が実現すれば、自然言語で生成 AI に指示をするだけで、集計・解析結果も含め必要な情報が自動的に収集され、ドキュメントを短時間でドラフトできるようになると考えています。」
MediMentor やメディカル ライティング支援環境は、今後、さらに精度と機能を高めたうえで、2025 年度に現場に投入されることが予定されています。


マルチモーダル RAG 構築など、ますます進化する「Chugai AI Assistant」
中外製薬では部署単位での生成 AI 活用に加え、約 7,600 人の全従業員が共通して利用できる「Chugai AI Assistant」も 2024 年 5 月に正式リリースされています。当初は Gemini をはじめとする LLM を利用できるシンプルなチャット アプリでしたが、前述した SOP 検索システムが後から組み込まれるなど、徐々に同社の生成 AI ポータルとしての性質も持ちつつあります。
そんな「Chugai AI Assistant」の新たな取り組みが、マルチモーダル RAG の実現です。デジタルトランスフォーメーションユニット デジタル戦略企画部 ビジネスアーキテクト1グループマネジャーとして「Chugai AI Assistant」の開発を主導してきた田畑 佑樹氏は、その目的を次のように説明します。


「『Chugai AI Assistant』では、社内に散在するさまざまな情報を取り込んだ RAG 機能が提供され始めています。しかし製薬会社で取り扱う文書には図表が含まれているものが多く、正しく認識できないことが 1 つのネックになっていたのです。実は、SOP 検索システムも同じ課題を抱えていたため、マルチモーダル RAG 構築が急務となっていました。」
田畑氏は、表や図、フローチャートなど性質が異なる情報をいかに取り込むか、作業コストをどうすれば下げられるのかといったテーマも含め、2024 年の春と夏に Google Cloud Consulting の Professional Services Organization(PSO)と詳細な検証を実施。現在はリリースに向けた環境構築を進めながら、長期的な構想を練り始めています。
「将来的には自律的に問題解決に取り組むエージェント的な機能も実装し、『Chugai AI Assistant』をさらに便利なものに進化させていきたいですね。いずれは生成 AI に限らず、AI にまつわるすべての機能が集約された、スーパーアプリに発展させていければと考えています。」
ますます加速していく中外製薬の生成 AI 活用。神内氏は、医薬安全性本部 本部長としてその可能性に大きな期待を寄せつつ、最も重要なのは効率化ではなく、社会的使命を全うすることにあると強調しました。
「生成 AI の活用で業務がどんどん効率化されてきていますが、真に大切なのは新しい価値を生み出すことです。生成 AI で省力化や効率化を実現するだけでなく、そこで生まれたリソースを、医療現場や患者さんのために役立てていくことに注力しなければなりません。この目的を実現するためにも、Google Cloud には弊社の挑戦を支えてくれる優れた技術を、今後も提供し続けていただきたいと考えています。」


中外製薬株式会社
2025 年に創業 100 周年を迎えた製薬企業。現在は「医療用医薬品」に特化しており、がん領域の医薬品および抗体医薬品で国内シェア No.1 を誇る。2002 年にスイスの大手製薬企業ロシュ社と戦略的アライアンスを開始、ロシュ・グループの一員として革新性の高い新薬の研究開発に取り組んでいる。従業員数は 7,778名(連結、2024年12月31日現在)。
インタビュイー(写真左から)
・デジタルトランスフォーメーションユニット デジタル戦略企画部
ビジネスアーキテクト1グループマネジャー 田畑 佑樹 氏
(取材時: デジタルトランスフォーメーションユニット デジタル戦略推進部
アジャイル開発推進グループ)
・デジタルトランスフォーメーションユニット デジタル戦略企画部
ビジネスアーキテクト2グループ 田村 崇 氏
(取材時: デジタルトランスフォーメーションユニット デジタル戦略推進部
データサイエンスグループ)
・医薬安全性本部 セイフティサイエンス第二部長 竹本 信也 氏
・医薬安全性本部 本部長 神内 達也 氏
・医薬安全性本部 セイフティサイエンス第一部 データサイエンスグループ 大入 直仁 氏
その他の導入事例はこちらをご覧ください。