法改正対応を AI で加速する富士通の挑戦:暗黙知の言語化が開発プロセスを変えた

Google Cloud Japan Team
行政システムや電子カルテなど、法律に基づく社会インフラを支えるソフトウェアの開発には、独特の難しさがあります。法改正のたびに、数百ページに及ぶ法令文書を読み解き、既存システムへの影響を見極め、限られた納期でシステム改修を完了させなければなりません。しかも、その判断ができるのは、長年の経験で培われた業務知識を持つごく一部のエンジニアだけ。
富士通株式会社は、このような既存システムの改修案件におこる構造的な課題に AI で挑んでおり、こうした取り組みを、富士通のシステム開発を変革するプロジェクト「Takane Driven Initiative」として推進しています。今回は、この検討プロセスの一部において、Google Cloud の Tech Acceleration Program(TAP)を知見探索の場として活用しました。ここで得た知見を社内の開発プロセスに還元し、「暗黙知の言語化」という独自のアプローチで成果を上げ始めました。今回は、AI Innovation Center の小副川 健氏、Public&Education事業本部の馬塲 燿司氏、AI&Tech-Driven Transformation 本部の魚瀬 秀明氏にお話を伺いました。


左から順に、インタビューにご協力いただいた富士通Japanの馬塲氏、富士通の小副川 健氏、富士通Japanの魚瀬氏
属人化した現場の課題:800 ページの法令を読み解き、数ヶ月でシステムへの反映をせまられる現実
富士通が開発・提供する行政システムや医療システムは、法改正に合わせて改修を繰り返す宿命を持っています。
医療分野では 2 年に 1 度の診療報酬改定があり、1 月末に出される仕様は 3 月にかけて段階的に詳細化されていきます。それを 6 月の施行日までに、つまり、たった 3 ヶ月でシステムへ反映させなければなりません。対象となる法令文書は 800〜900 ページ。行政分野でも、マイナンバー制度や標準化法など、大規模な法改正が定期的に発生します。
「法律が変わると、当然システムも変えていかなければなりません。その作業を何年も繰り返してきた結果、システムの母体が大きくなり、保守が大きなウエイトを占める状況になっています」と馬塲氏は語ります。


改修を繰り返す中で保守のウェイトが増していく現場の実情を語る馬塲氏
課題は規模だけではありません。法令文書を読み込み、各自治体や医療機関での運用を頭に描きながらシステムを設計し改修を行うには、既存のソースコードの理解、コーディングスキルに加えて、深い業務知識が求められます。しかも、この作業にかけられる時間は多くはありません。できる人材はどうしても限られ、一部のベテランの担当の「暗黙知」として蓄積され、業務の属人化が進んでいました。
この問題の解決に向けて、富士通社内で立ち上がったのが全社横断の取り組み「Takane Driven Initiative 」です。富士通の技術と蓄積された業務知見をあわせ、設計から、製造、テストまでを一気通貫で AI が担う「AI-Driven Software Development Platform(AI-Driven SDP)」の開発を進めています。現在、行政とヘルスケアを中心に活用がはじまっています。


AI-Driven Software Development Platform の全体像
Gemini CLI との出会い:コンテキストの長さとインタラクティブ性が決め手に
AI-Driven SDP の開発を統括する小副川氏が Gemini に注目した理由は明快でした。
「まず、当時のタイミングで圧倒的にコンテキストが長かった。我々のソースコードの量が膨大なので、どれだけ詰め込めるかが重要だと考え、これに耐えうる AI として Gemini に注目、それをターミナルで使える Gemini CLI を選びました」
加えて、すでに Google Cloud 環境を利用していたことも後押しになりました。富士通が独自に開発する AI-Driven SDP は、設計から製造、テストに至るまで、全工程一気通貫で処理が実行されます。ただし、そのドメインナレッジは、各工程ごとに試行錯誤しながら整備する必要があります。Gemini CLI のインタラクティブなやり取りは、ベテランの持つ暗黙知の抽出と言語化のアプローチにマッチしていました。TAP での検証を通じて暗黙知抽出のアプローチを確立し、それをTakane Driven Initiative に持ち帰って活かすこと。それが今回の狙いでした。
TAP で見つけた「暗黙知を言語化する」アプローチ
Google Cloud の TAP では、3 日間のワークショップを通じて具体的な検証を行いました。馬塲氏のチームが取り組んだのは、過去に実施した法改正の案件を題材にした 4 段階のアプローチです。


Gemini CLI の応答を前に、富士通と Google Cloud が議論を重ねた
まず、過去の法改正における法令文書とソースコードを Gemini に読み込ませ、正しく改修できるかを試しました。ところが、最初はうまくはいきませんでした。
そこで次に、正解となるコードを与えて逆算させました。「この正解を導き出すにはどういう実装方針が必要か」を Gemini に考えさせ、実装方針を言語化させたのです。
そして、コンテキストをリセットした上で、導き出した実装方針に基づいて改めて改修を試みます。それでも正解に届かなければ、プロンプトをチューニングして精度を上げていく。
「この 3 つのステップだけではうまくいかなかったんですね。なぜかというと、我々の頭の中にしかない暗黙知、言語化されていないものがあると、やはり期待どおりの開発ができないということがわかりました」と馬塲氏は振り返ります。
ここから生まれたのが、4 つ目のステップ、暗黙知の体系的な言語化です。Gemini CLI とインタラクティブに対話しながら、「なぜ正解にたどり着けなかったのか」を考察させ、足りなかった知識を一つひとつ洗い出していきました。
魚瀬氏はこのプロセスを「新人を教育しているようなイメージ」と表現します。
「最初の 50 点から 100 点に引き上げるために何が足りなかったのかが、少しずつアウトプットされていく。それをまとめて体系化すると、『こういうことが足りなかったんだ』という気づきが得られるんです」


Gemini との対話を新人教育になぞらえて説明する魚瀬氏
ソースコードの構造を一度に学習させようとするとトークン超過が発生しましたが、体系的に順序を整理し、フューショット(Few-shot prompting)で段階的に知識を投入していくことで、精度は大きく向上しました。
技術よりも大きかった「マインドの変化」
TAP を通じて得られた最大の成果は、技術的な知見だけではありませんでした。
「一番大きなところは、マインドの変化です」と馬塲氏は言います。「暗黙知をちゃんと言語化して AI に読み込ませないと、正しい正解を導き出せないことが目に見えてわかりました。普段何気なくやっているシステム開発の一つひとつを、AI に教えるならどう言語化すればいいか、と考えるようになったんです」
この意識の変化は、TAP 後の活動にも波及しています。TAP で得た暗黙知抽出のノウハウを社内に展開したことで、AI エンジニアとして活動できる人材が増えるという副次的な効果も生まれました。
小副川氏はこう補足します。「AI-Driven SDP における暗黙知の抽出・体系化プロセスとして整理し、環境やモデルが変わっても活用できる手法として確立したことで、ベテランの経験がなくても暗黙知を抽出できる人材が育ちつつあります」
Google Cloud スペシャリストとの連携で大きな手応え
TAP での Google Cloud スペシャリストとの協業について、馬塲氏は「非常に素晴らしかった」と評価します。
「目先のゴール達成だけでなく、ビジネスの背景や目的から理解していただきました。3 日間に限らず、その後も個別のフォローアップをしていただき、暗黙知の言語化についても継続的に支援を受けられたのは非常にありがたかったです」
魚瀬氏も、まず課題の真因に対して仮説を立て、それに対してどういった技術とアプローチで解決できるかを議論するという進め方に手応えを感じたと話します。
「来るたびに最新の技術を出し惜しみなく紹介してくれて、それを自分たちの中でどう活用できるかを検討できました」
小副川氏は「非常に真摯に課題に向き合っていただいた。自分たちの技術やサービスを当てはめようとするのではなく、課題そのものをしっかり見てくれた」と振り返ります。


Google Cloud スペシャリストとの協業を「課題そのものをしっかり見てくれた」と振り返る小副川氏
AI が主役になる開発、その先にあるもの
富士通は TAP で得た知見を AI-Driven SDP に還元し、法令の解釈から設計、製造、テストまでの全工程自動化を目指しています。プレスリリースでは、3 人月を要していた改修期間を 4 時間に短縮した実証結果も報告されました。
ただし、課題も残っています。馬塲氏は「AI は同じ命令を与えても結果が微妙に異なります。社会システムでは再現性が必須なので、間違ったアウトプットを検知して軌道修正する仕組みが必要です」と指摘します。
今後の展望について、魚瀬氏はこう語ります。「私たちはソフトウェアを通じてお客様の課題を解決するためにこの仕事をしています。AI が開発を加速してくれるなら、空いた時間でお客様のところに行き、業種を横断した社会課題の解決に取り組みたい。それが真の目的だと思っています」
馬塲氏は、AI を開発に活用する上での心構えをこう締めくくりました。
「今回の AI は、補助ではなくシステム開発の主役です。高速にアウトプットが出てきますが、それは最後の一瞬の動作にすぎません。裏には、暗黙知を地道に言語化して蓄えさせるという準備がある。一足飛びではなく、その地道な作業があってこそだということを、社内にも広めていきたいと思っています。そして今後も、社会システムに求められる品質と再現性を満たす AI ドリブン開発の在り方を追求していきます」
Tech Acceleration Program (TAP) とは
グーグル・クラウド・ジャパンは、ユーザー企業の DX の取り組みを加速させるために、生成 AI やクラウドネイティブな技術を活用して、実際のアプリケーションを題材に、迅速で効率的なアプリケーション開発を体験するアジャイル型のワークショップ「Tech Acceleration Program (TAP) 」を提供しています。TAP ではアジャイルなアプリケーション開発を支援するための環境づくり(開発環境の整備やコンテナベースのプラットフォームの検討など)もご支援しています。こちらからお問い合わせください。
インタビュイー
富士通株式会社
・AI Innovation Center 小副川 健 様
富士通Japan株式会社
・Public&Education事業本部 馬塲 燿司 様
・AI&Tech-Driven Transformation 本部 魚瀬 秀明 様



